【F1】ホンダF1・数々の名マシンと名エンジンを生んだレーシング企業の歴史

チーム・ドライバー

F1で数々の伝説を残し、今ではF1になくてはならない存在の「ホンダ」。今回はそんなホンダF1の歴史とその活躍をまとめてみました。

現在F1で活躍している日本人ドライバー角田裕毅選手についてはこちら!

歴史

ホンダF1は主に4期の活動時期に分けられます。そのうち第1、3期はフルワークス体制で、2、4期はエンジン・パワーユニットサプライヤーとして参戦しています。また第2期終了後はホンダ系の無限がエンジンサプライヤーとして参戦しています。

第1期 フルワークス体制で優勝!

参照:https://www.topgear.com/car-news/gaming/you-can-now-drive-achingly-gorgeous-honda-ra272-f1-car-gran-turismo

ホンダは1964年にF1に初参戦しました。当時のホンダは主にバイクを生産、販売しており、マン島TTでの優勝もありました。しかし四輪では軽トラを生産したのみで、弱小だと思われていました。ホンダもこのことを重々承知で、初めはエンジンサプライヤーとして参戦する予定でした。しかし契約チームが急遽別のエンジンを載せることになり、ワークスでの参戦を余技なくされました。この影響で参戦は8月2日と延期になりましたが、翌年最終戦では初優勝を飾りました。

1966年はエンジンのレギュレーションが1.5Lから3Lへと大幅に変更され、開発が遅れたため成績は振るいませんでした。しかし翌年、1964年のチャンピオン・ジョンサーティースが加入するとチームの成績は向上し、優勝1回を含む表彰台2回とともにコンストラクターズランキングで4位につけました。

特に優勝したイタリアGPは最終ラップまでもつれる超接戦だったようです!YouTubeに当時の最後数ラップがアップロードされていましたので紹介します。

第2期 マクラーレンホンダ無双時代

参照:https://www.autocar.co.uk/sites/autocar.co.uk/files/images/car-reviews/first-drives/legacy/97-honda.jpg

ここから黄金の第2期です!ホンダF1といえば第2期!という方も多いのではないでしょうか。マクラーレン、ホンダ、セナというトリプルコンボは世界中で愛され、F1人気にも火をつけましたね!

1983年から始まった第2期ですが、当時はターボ車の優位性が証明されさまざまな自動車メーカーが再参戦していました。ホンダもこの波に乗って参戦しましたが、実は初めはターボラグなどに悩まされ成績も低迷していました。しかし量産車の技術やF2での同時開発、また車載センサーの搭載や衛星通信によるリアルタイム分析などの新技術の導入により競争力を大幅に上げ、1986年にコンストラクターズタイトルを獲得しました。翌年もタイトルを獲得し、1988年にはホンダエンジンを搭載したマクラーレンが16戦中15勝を果たし、アイルトンセナがドライバーズタイトルに輝きました。

89年からはターボの使用が禁止になりましたが、89年、90年とタイトルを獲得し、第2期最終年の92年はF1史上唯一のV12エンジンでのタイトル獲得という快挙を達成しました。

数々の名門チームにエンジンを供給し、世界最強のエンジンコンストラクターとして君臨した第2期では、日本人初のF1フルタイムドライバーの中島悟の参戦や、音速の貴公子・アイルトンセナがマクラーレンホンダのドライバーだったこともあり、日本ではF1ブームが起こりました。当時中島悟が鈴鹿のホームストレートを駆け抜けるとスタンドではウェーブが起こるような、そんな良い時代だったようです。

しかしバブル崩壊によるホンダの経営不振などを背景に、1992年を持ってF1から撤退しました。撤退後は「無限ブランド」として小規模ですがF1への参加を間接的に続けました。

第2期はたくさんの名場面があり、紹介したい気持ちも山々ですが、ここではF1のV12エンジン唯一のタイトル獲得を成し遂げたマクラーレンホンダの快音を紹介したいと思います。当時V10が最適だといわれていたようですが、ホンダエンジニアはV12という夢を捨てきれず、最終年にこれを完成させ、さらにタイトルも勝ち取りました。この思いの詰まった名機をセナのオンボードとともにご鑑賞ください。

第3期 BARから再びフルワークス

参照:https://www.autocar.co.uk/sites/autocar.co.uk/files/honda-f1-5_0.jpg

第3期は2000年から始まりましたが、当初はエンジンサプライヤーとして参戦していました。もともとはフルワークス体制での参戦が想定されていましたが、テクニカルディレクターがテスト中に急死したことや、ホンダ社内のフルワークス体制慎重論などを背景に、BARF1チームにエンジン供給する形で参戦開始しました。

第3期は第2期と違い良い結果を残せませんでしたが、2004年は優勝こそないものの、11回の表彰台とともにランキング2位に躍り出ました。佐藤琢磨もアメリカGPで3位表彰台に登りました。

2005年はタイヤに関するレギュレーション変更にうまく対応できず成績不振に陥りましたが、技術開発に力を入れシームレスシフトなどの新技術の実践投入に成功しています。

2006年にはBARの株式をすべて取得しフルワークス体制での参戦に成功しました。前半戦は成績が振るいませんでしたが、エース・ジェンソンバトンが第13戦ハンガリーGPを制し、第3期初の優勝を勝ち取りました。その後順調にポイントを重ね、ランキング4位でシーズンを終えました。

2007年は成績不振が続き、エンジニアリングチームの再編を行いました。これにともないチーム代表にロスブラウンをが就任しました。2008年も参戦を継続しましたが低迷が続き、さらにリーマンショックによるホンダの業績悪化に伴い同年をもってF1を撤退しました。

ホンダF1チームはチーム代表のロスブラウンに1ドルで売却され、翌年からブラウンGPとしてF1に参戦しました。しかし2009年のレギュレーションの大幅な変更に向けてホンダはすでに開発を熟成したところでのF1撤退を行ってしまい、ブラウンGPは初参戦初優勝、ダブルタイトルの大成功を収めました。今ではこの決断はホンダF1史上最大の失敗だったといわれています。

第3期はタイトルを獲得できず不振が続きましたが、その後ブラウンGPやメルセデスF1チームへと続く礎となったチームを結成したことでF1において大きな役割を果たしていると思います。またF1史上最高のエンジン音と謡われる時代にホンダが参戦していたこともファンにとってはうれしいことですね!

日本人として第3期のクライマックスは佐藤琢磨の3位表彰台かなと考えているので、その紹介をさせてください!

第4期 レッドブルホンダ最後に勝ち取ったチャンピオン

参照:https://d3dup97zc5osq9.cloudfront.net/production/52125/conversions/SI202110070099-large.jpg

第4期はホンダF1のハイライトといっても過言ではないと思います。

2015年から参戦開始した第4期ですが、初めは第2期でタッグを組み旋風を巻き起こしたマクラーレンにパワーユニット独占供給を行いました。しかし2014年の大幅なレギュレーション変更にマクラーレンのシャシーとホンダのパワーユニットどちらもうまく対応できず、しまいには日本GPでアロンソから「GP2 Engine! GP2!!」との叫びが世界生中継で放送され、この年の失敗は明白でした。

続く2016年はランキングの順位は少し上げるものの依然として低迷しており、さらに2017年はパフォーマンス向上に向けた設計がかえって信頼性を喪失し、リタイヤを量産してしまいました。マクラーレンにも低迷の要因はあったものの、当時のホンダの言われようは特にひどかったと今では思います。これを機にマクラーレンとの契約を終了しました。

2018年からはマクラーレンに代わりレッドブルの姉妹チーム、トロロッソに独占供給を開始しました。2018年型のパワーユニット開発はホンダの飛行機部門「ホンダジェット」の協力もありうまく軌道に乗り、トロロッソは順調にポイントを獲得することができました。

トロロッソでのパフォーマンスが功を奏し、2019年からレッドブルへの供給も開始されました。開幕戦オーストラリアではホンダ復帰後初の表彰台を獲得し、オーストリアGPでは初優勝も飾りました。順調に開発を進めたホンダのエンジンは、マクラーレン時代の不振の影はなく、2020年には当時絶頂を極めたメルセデスに次ぐランキング2位に躍進しました。

しかし2020年10月、突如としてホンダの2021年いっぱいでのF1撤退が発表されました。これを機にアップデートを前倒し、2021年は強力なパワーユニットで参戦しました。エース・マックスフェルスタッペンと7度の世界王者・ルイスハミルトンのタイトル争いがシーズンを通して続き、最終戦を前にして両者同ポイントになりました。最終戦アブダビではハミルトンが終始優勢でレースが進みましたが終盤にセーフティーカーが入ります。この時点でハミルトン1位、フェルスタッペン2位。最終ラップを前にセーフティーカーが入りラスト1周です。ここでフレッシュタイヤのフェルスタッペンがハミルトンをオーバーテイクし、見事ドライバーズチャンピオンに輝きました。

第4期初めは下位カテゴリーのGP2のエンジンだとまで言われましたが、絶え間なく開発を続け、最終的に世界一のパワーユニットを作り上げたホンダ。世界一になった瞬間をみなさんにもぜひ共有したいので、ぜひこちらの動画をご覧ください!

第5期 アストンマーチンと契約!

参照:https://e0.365dm.com/23/05/2048×1152/skysports-f1-fernando-alonso_6164950.jpg?20230523133651

2023年5月、ホンダが2026年からパワーユニットサプライヤーとしてF1に復帰することが発表されました。現時点ではアストンマーチンへの独占供給となっています。ホンダはすでに新たな拠点をイギリスに建設し、着々と準備を進めています。

まとめ

今回はホンダF1の歴史を振り返ってみました。山あり谷あり、栄光もあれば失墜もあったホンダF1ですが、だからこそドラマがあり人々に愛される存在なのかなと思いました。第5期からも活躍間違いなしのホンダをこれからもみなさんで応援しましょう!

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