今回はエイドリアンニューウェイを紹介したいと思います。
基本情報
1958年生まれ、イギリス出身のレーシングカーエンジニア。2024年現在はレッドブルレーシングF1チームのチーフテクニカルオフィサーを務めています。F1で最も優れたエンジニアとして有名で、特にエアロに関しては他に類を見ない天才です。日本では空力の鬼才の異名が語られています。
彼がデザインに関わったマシンは200以上のグランプリで優勝し、12のコンストラクターズタイトルを獲得しました。
経歴
幼少期~大学時代
ニューウェイは1985年、イギリスのコーチェスターに生まれました。青年時代はラプトンパブリックスクールでジェレミー・クラークソンと同級生でした。学校のコンサートでバンドのミキサーの音量を爆上げしてステンドグラスの窓を割ってしまったという逸話を残しています。
その後サウサンプトン大学、航空宇宙工学科に進学し1980年に主席で卒業しました。このときの卒業論文がグラウンドエフェクトについてで、当時これについて実験的に理解をしていた数少ないエンジニアでした。
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F1就職~インディカー時代
大学卒業後すぐにフィッティパルディF1チームに就職し、一年後にマーチに転職。F2のレースエンジニアとして過ごした後、初めてレーシングカーのデザインに携わりました。当時デザインしたマーチGPTスポーツカーはIMSA GPTで2連続チャンピオンに輝きました。
1984年にマーチのインディカープロジェクトに異動しました。1985年にはニューウェイが手掛けたマーチ85Cがインディ500の優勝と共にチャンピオンに輝きました。1986年にはすでにクラコに移籍していたニューウェイでしたが、マーチで設計していた86Cはまたしてもインディ500優勝、チャンピオンに輝きました。その後一瞬F1チームに所属しましたがチームがすぐにF1から撤退してしまいインディカーの地に戻りました。最終的にマーチに再就職し、マーチからF1のチーフデザイナーとしてF1に戻りました。
F1 – マーチ・レイトンハウス
ニューウェイが最初にデザインに携わったのは1988年のマーチ881でした。このマシンはNAエンジンだったにもかかわらず当初の予想よりもはるかに強力なマシンで、日本グランプリではターボ最盛期に最強だったマクラーレンホンダを一瞬リードラップを奪い、この年唯一のNAエンジンリードラップを記録しました。
1990年にマーチはレイトンハウスレーシングにチーム名を変更し、それと同時にニューウェイはテクニカルディレクターに昇進しました。しかし1990年のCG901はエアロに問題を抱えておりニューウェイは解雇されてしまいます。しかし解雇前にデザインしたアップデートによってその後は調子を戻しチーム唯一の表彰台も獲得しました。
F1 – ウィリアムズ(1991 – 1996)
ウィリアムズはニューウェイの活躍にいち早く気づき、80-90年代のトップチームの莫大な資金を使いニューウェイの移籍を素早く実現しました。1991年は前半にトラブルが続いた影響やセナの活躍により惜しくもチャンピオンを逃しましたが、翌年はアクティブサスペンションなどのハイテクシステムを導入しタイトルを勝ち取りました。1993年も同様にシーズンを通して圧倒的な強さを見せ2年連続チャンピオンとなりました。
しかし翌年からアクティブサスペンションは禁止され、もともとそれに合わせてエアロ設計されたマシンは不安定な動きでドライバーのアイルトンセナを苦しめました。さらに最悪なことにこれが原因でサンマリノGPで大クラッシュを起こし、セナは帰らぬ人となりました。最終的に1994年もコンストラクターズチャンピオンに輝くも、3連続ドライバーズタイトルとはなりませんでした。セナの事故も相まってニューウェイとウィリアムズの間には亀裂が生じはじめました。
1995年にはベネトンに両タイトルを明け渡し、さらにチームとの距離を感じ始めたニューウェイは1996年末にF1からの一時休暇を取ると発表し、ウィリアムズから身を退きました。
最終的にウィリアムズで59の優勝、4つのコンストラクターズチャンピオンを獲得しました。
F1 – マクラーレン(1997 – 2005)
1997年からはマクラーレンに移籍しました。1997年のマシンはすでに出来上がっていたので小さいアップデートを任されると同時に、1998年のマシンの設計に集中しました。1998、99年はニューウェイデザインのマシンに乗ったミカハッキネンが両シーズンを席捲し2連続タイトルに輝きました。1999年のマクラーレンMP4/14は今では最も美しいF1マシンの1つと呼ばれています。
しかし2001年にジャガーとの契約が発表されました。結果的にマクラーレンに残ることがのちに発表されますが、ニューウェイがマクラーレンを出たがっているという噂が立ちます。2004年にはウィリアムズに戻るという話やF1から引退するという話も出てきます。最終的に2005年までチームに残り、その後は引退すると考えられました。
F1 – レッドブル(2006 – 2025)
しかし2005年11月、レッドブルが急遽ニューウェイの移籍を発表しました。英紙ガーディアンはニューウェイの報酬は年間1000万ドルと報じ、レッドブルのドライバーよりも高い報酬ということで話題になりました。
しかしまだレッドブルは新興チームで強力なマシンを作るには時間がかかりました。ニューウェイの指揮のもと開発を続け、またニューウェイ設計のマシンの経験が豊富なデビッドクルサードもサポートしました。
2009年には大きなステップアップを見せました。2009年からはレギュレーションが大幅に変更となり、そこに集中して開発していたレッドブルは前年からの大幅な躍進を遂げたのです。惜しくもタイトルは逃しましたがチーム初優勝を含む6回の優勝とコンストラクターズランキング2位を獲得しました。
2010年には前年のマシンをアップデートしたRB6がシーズンを席捲し、両タイトル奪取に成功しました。この年ニューウェイは3つのチームでコンストラクターズタイトルを獲った唯一のデザイナーとなりました。
その後2012、13年と両タイトルを獲得し、レッドブルの黄金時代を気づき上げました。またベッテルは史上最年少チャンピオンに加え、2013年にレコードの9連勝を記録しています。
2014年からはパワーユニット時代に入り、非力なルノーパワーユニットによって2018年まではチャンピオンから遠ざかっていました。2019年からはホンダとタッグを組み良好な関係を保ちシャシー・パワーユニットどちらもパフォーマンス向上しました。2021年はレッドブルのマックスフェルスタッペンとメルセデスの7回のチャンピオン・ルイスハミルトンによる一騎打ちとなり、最終戦に勝利したことでレッドブルがドライバーズチャンピオンを奪還しました。
2022年からのレギュレーションにも上手に対応し、グリッド上で最も強力なマシンとなりました。2023年のRB19はさらに強力になり、シーズン22戦中21勝と勝率95.45%と史上最強のF1マシンとなりました。
2023年カナダGPではレッドブルの優勝100回目と同時にニューウェイ自身の優勝200回目も記録しました。
2024年4月、ニューウェイがレッドブルを離脱するのではという噂が立ちました。当初レッドブルはこれを否定していましたが、2025年第一四半期にレッドブルを離脱することが決定しました。
フェラーリでルマンも出ている!?ドライバーとしてのニューウェイ
ニューウェイはF1エンジニアとしてだけでなく、自らレーシングカーを運転しています。ルマンレジェンドレースに数年間出場しています。2006年にはフォードGT40でクラッシュをしたこともありますがかすり傷程度で収まりました。
2007年からはAFコルセのフェラーリF430に乗りルマン24時間レースに出場しています。
2025年にアストンマーティンと契約!
2025年にレッドブルからの離脱が決定しているニューウェイですが、2025年3月からアストンマーティンへの移籍が決定しました!
24年9月にはシルバーストンにあるアストンマーティンのファクトリーを秘密裏に訪問したりと契約の噂が流れていましたがついに発表されました。アストンマーティンはローレンスストロールの莫大な資金をもとに体制を強化しています。シルバーストンのファクトリーは近年完成したもので、風洞を備えた大規模なものです。
このようなF1への設備投資に加え、F1最強のデザイナーがタッグを組むアストンマーティンにはこれから数年間は目が離せません!!
ニューウェイのこれまでの年収は?
これまで様々なチャンピオンマシンを設計し、今でも史上最高のデザイナーとの呼び声高いニューウェイの年棒は一体どれほどのものになるのでしょうか。
レッドブルとの最初の契約の際は年間1000万ドルと報じられました。当時のレートが約116円なので円換算すると約11.6億円となります。当時のドライバーでもここまでの報酬があるのはチャンピオン経験者だけではないでしょうか。
また2014年にはフェラーリから2000万ポンドのオファーがありました。結果的にレッドブルに残りましたが、もし契約していた場合、日本円で年間約35億円の契約金となっていました。
今回のアストンマーティンとの移籍ではニューウェイ契約金は2000万ポンドといわれており、現在のレートでは39億円の年棒になるようです。
これまでもこれからも天才デザイナーとしてF1のエンジニアのなかで断トツの報酬額を受け取ることになるでしょう。
まとめ
今回はエイドリアンニューウェイについて経歴やこれからについて解説してみました。エンジニアなのにチャンピオンドライバーと同じ報酬額を受け取っていることは彼が本当に稀有な存在であることを強調していると思います。これからまだまだ引退せずにチャンピオンマシンを生み出してほしいですね!
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